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野良猫との思い出から湧いてくる支援したいという気持ち

いとひろ(@soxbidwhwork)です。

昨日道を歩いていたら、少し前を歩いていたサラリーマンの男性が道の端に寄って何かしてたんですよね。最初、道端に置かれたゴミの中に何か気になるものがあって触ってるのかなと思ったのですが、近づいて見てみたらそこにいた猫を撫でていました。

その猫はその道を歩いているとよく見かける猫で、どうやらエサをあげてる人がいるらしく逃げないどころか「エサくれー」って感じで文字通りの猫なで声をあげてくる野良猫なんですね。いつもそのPRを無視して素通りしているのですが、「近づいても逃げずに触らせてくれるんだな」ということがわかったのは収穫でした。特に役立つ情報ではないけれど(笑)

今では野良猫を可愛がる機会もなくなりましたが、サラリーマンの方が野良猫を撫でているのを見て小さい頃に住んでいた家の近くにいた野良猫を可愛がっていたのを思い出しました。田舎だったのもあって野良猫を排除するような感じはなくて、近所の人たちのペットみたいな感覚でみんなが可愛がっていましたね。

メス猫だったので近所のおばあさんがリボンで首飾りをつけてあげ、食事時になると誰ともなく猫の食事を猫用に誰かが置いたお皿に入れてそれをタマ(その野良猫の名前)が食べてたなぁ。タマは普段はどこにいるのかわからないけれど、食事時には現れていたので、その時間帯を狙って近所の子供たちが集まって撫でたり、遊んだりしてました。タマの年齢はもちろん不明なのだけど、動きなどから歳を取っている猫だろうと子供ながらにみんな理解していて優しく撫でるようにしてたし、遊ぶ時も激しい動きをしないような遊びを選んでいたのをうっすらと覚えています。

ある日から急にタマが現れなくなって、実質タマの飼い主的になっていたリボンをつけてあげていたおばあさんに「今日はタマ来た?」と聞いては「来てないよ」って答えを聞いて落ち込む日がしばらく続きました。そのうちおばあさんが「猫は亡くなる時に身を隠すんだよ」って話をしてくれて、タマはみんなが悲しまないように死を隠してくれたんだな…と思ったんですよね。当時は今のようにスレてない子供だったのでタマに感謝した記憶があります(笑)

そんな過去の経験があるものだから、ついつい野良犬や野良猫などを見ると「お腹空いてないかな」とか「怪我してないかな」と気になってしまうのですが、中途半端な対応をしてしまう方が良くないなと思って今は最初に書いたように素通りすることにしてるんですよね。自分に力があればもっと救える命があるだろうし、幸せに過ごせる場所を提供できたでしょう。。。

少し話がずれるのですが、自分の理想を実現するためにはやはり圧倒的な力を持つことが必要になるんですよね。特にお金という力を持てると実現できることが多い。先日書いた記事で愚痴めいたことを書いたのも、自分にもっと資金があれば簡単に助けてあげられることなのかもしれません。

起死回生を目指すって本当に大変

起死回生をはかるには困難が多すぎて…どうすりゃいいんだろ

猫の話から飛躍しすぎですが、野良猫や野良犬などを目にするたびにどうしても自分の無力さを感じるんですよ。稼いだお金を自分自身の欲望のために使っていることも多いので、「そのお金を募金でもすりゃいいじゃん」って言われればその通りなんですけどね。募金しているお金は現時点では少額に止まっているのは確かなので。

これから少しずつでも募金額を増やせるように稼いでいきたいと思うし、稼いだお金の中でどのような支援ができるのかを考えていきたいなと改めて思ったという話でした。

全般

Posted by いとひろ